このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

父の本を出版しました

 

私が生きた風景 (MyISBN - デザインエッグ社)

私が生きた風景 (MyISBN - デザインエッグ社)

 

  父が書きためた原稿を編集して本にしました。やってみようと思った理由の半分は親孝行、残りの半分は出版するということについての自分の興味でした。作業を始めてから本として販売されるまで、半年と少しかかりました。ブログなどの電子媒体では、いくらでも公開の機会があるとはいうものの、紙の本になるというのは、またひと味違う感慨があります。

 きっかけはMyISBNというサービスのチラシを目にしたことでした。本のPDFを作って登録すれば、初期費用4980円で本になり、ISBNも付いてAmazonで売られる、という話でした。自費出版といえば、費用が何十万円もかかるというイメージがありましたので、ちょっと話がうますぎると思いました。Webサイトを見ても同様のことが書かれていて、既に出版されている本も多数ありました。出版といっても書店に本が並ぶわけではなく、Amazonで売れた数だけ印刷・製本するプリントオンデマンド、という説明を読んでやっと少し納得できました。在庫のリスクはゼロで、印刷・製本は多分自動化されているということなのでしょう。このビジネスモデルとそれを可能にしたテクノロジーには感心します。

 父は文章を書くのが好きで、新聞に頻繁に投稿して掲載されたり、自分史やエッセイを書いたりして書き溜めた原稿があるのを知っていましたので、本にしてはどうかと思い立ちました。編集は引き受けるからやってみないかと持ちかけると、案の定「是非やろう」ということになりました。80歳過ぎには珍しく、昔取った杵柄でキーボード入力を苦にしない父なので、原稿は全部ワードで書かれた電子ファイルになっています。簡単ではないとしても、やってできないことではないはずなので、本を作り始めることにしました。

 離れて暮らす父との共同作業となることから、ゴールデンウィークに帰省したときに、dropboxを設定してファイル共有の環境を作りました。これはとても役に立ちました。キーボードが打てると言っても、ワード以外のソフトやWindowsの扱いが得意なわけではありませんので、メール添付でのやりとりでは大変だったと思います。メッセージの送受信でさえ、メールではなく共有フォルダのワードのファイルを掲示板代わりに利用しました。

 編集作業のゴールは、そのまま印刷すれば本になるPDFファイルを作ることです。実際にやってみると、次々と作業が発生します。大きく分けると、原稿の内容に関する作業と、本の体裁に関する作業があります。内容については、まず方針を決めて掲載する原稿を書き溜めた中から選び、修正・推敲します。主な修正点としては、一般読者に向けた表現への修正、常体・敬体の統一、数字などの表記の統一、引用部分への出典情報の追加などの作業があります。内容の修正は父に依頼するのですが、表記の統一などの修正や、修正後の原稿の校正などを担当しました。また、本の体裁については、本のサイズやページの体裁、見出しや本文のフォント、目次やページ番号の入れ方などを決めて、ワードのファイルを設定する作業があります。見出しだけのページにはページ番号を入れないとか、当然できるはずの設定がよく分からず、Web検索と試行錯誤を繰り返しながら、何とか所望の体裁にたどり着きました。

 本文PDF作成以外に必要な作業として、表紙PDFの作成と、Amazon掲載情報(タイトル、内容紹介、著者紹介)の作成があります。表紙は大学のデザイン学科に通う息子に頼んで作ってもらいました。本文と表紙が出来上がって、myISBNのサイトで出版に向けてファイルの登録やAmazon掲載情報の入力を進める段階になって、大問題が発生しました。予定していた本のタイトルが使えなかったのです。myISBNでは同じタイトルの本を複数出版することができない仕組みになっているらしく、まだ出版されていなくても他のユーザが登録済みのタイトルは使うことが出来ず、入力したタイトルが拒否されてしまったのです。やむなくタイトルを修正して、本文と表紙を作り直し、再度登録作業を進めて、なんとか手続きを完了しました。その後のmyISBNとAmazonでのチェックでは特に指摘は無く、2週間程度でAmazonに掲載され、晴れて出版完了となりました。

 献本先のリストが父から届いていて、出版されたら直ちに送付したいとの希望でしたので、発注作業もやりました。著者は2割引きで購入できるのですが、10冊単位で発注する必要があり、送料もかかることがわかりました。結局、手渡しで配る分だけを割引購入し、郵送が必要な献本先には、Amazonでギフトとして発注し、伝票に書かれるメッセージに献本である旨を記載することにしました。

 半年に渡る作業の間、原稿を何度も読み返し、かなりの時間を費やしましたが、それだけの価値はあったと思っています。父も出来栄えに満足し、喜んでいるようです。この経験を活かして、そのうち自分の本も作ってみたいと思うようになりました。いつになるかは分かりませんが。

 

 

 

『未来の年表』

 

  飛んでくることは無いであろう北朝鮮のミサイルのために大騒ぎしたり、アメリカから高価な迎撃ミサイルを買うよりも、必ずやってくる人口減少社会に備えてもっと手を打って欲しいと常々思っていました。そんなとき、ブックオフでこの本を見つけ、手に取りました。発行されてまだ1年経っていない本です。新品とあまり変わらない値段でしたが購入しました。

 ページの大部分を割いているのが「人口減少カレンダー」です。これからやってくる人口減少が引き起こす問題を、年表形式でまとめたものです。大学の倒産、労働力不足、空き家の増加、火葬場不足、食料確保の危機など、恐ろしい未来が、これでもかと書かれています。自分の生きている間ぐらいはなんとかなるかと思いきや、考えが甘かったようです。

中でも深刻な、福祉の問題や労働力不足の問題への対策としては、やはり高齢者が元気に働くしかなさそうです。定年退職したら悠々自適の生活、なんて夢を見るのはやめて、楽しく働き続けられるよう、健康に気をつけます。

ということで、今日は人間ドックに来ています。

 

ハイレゾは買いか?

 ハイレゾオーディオが流行っているようです。

 ハイレゾというのは、日本語で言えば高解像度ということです。解像度と言えばおなじみなのがテレビです。昔のアナログ放送から、地デジに変わったとき、だれの目にも明らかに絵がきれいになりました。このとき、解像度はざっくり2倍ぐらいになりました。

 ハイレゾオーディオの解像度も従来と比べてざっくり2倍ぐらいになっています。それで、どれほど音がきれいになったかと言うと・・・実は画像とは少し事情が違います。音の場合の解像度というのは、音の波形を表現するのに1秒間に何点とるか、ということを表しています。点数が多いほど音の細かい波形を表現できるというわけです。テレビなら近づいたり、大画面で見たりすれば解像度の違いが良く分かりますが、音は波形そのものが見えるわけではありません。音の場合は、細かい波形が表現できるということは、つまり高い音が出せるということになります。

 今までのオーディオは2万ヘルツぐらいまでの音が出せましたが、ハイレゾだと4万ヘルツぐらいまでいけます。やっぱり2倍ぐらいです。従来のオーディオがなぜ2万ヘルツまでしか出せないかというと、人間が聞こえる音の高さの上限が2万ヘルツだからです。そうすると、ハイレゾになって出せるようになった2万ヘルツから4万ヘルツの音は、人間には聞こえない音、いわゆる超音波ということになります。ハイレゾオーディオは、一言で言うと超音波の出せるオーディオです。

 それじゃあ、普通のオーディオとハイレゾでは、聞いた感じは何が違うのでしょうか?分かりません。原理的には違わないはずですし、私は同じだと思います。だからハイレゾは買いません。今日、ハイレゾスピーカーを触る機会があったので、試しに超音波を再生してみましたが、まったく聞こえませんでした。あたりまえです。聞こえない音を超音波というのですから。画像と違って、スピーカーに近づいても、ボリュームを大きくしても聞こえるようにはなりません。聞こえないというだけで音は出ていますから、ボリュームを上げすぎるのはやめましょう。耳を傷めないとも限りません。

 もし聞いて違いが無いならば、なぜ高いハイレゾ機器にお金を払う人がいるのでしょうか?売れているということは、何か違いがあるのでは?でも、世の中には効果が無い、あるいは分からないのに売れているモノがたくさんあります。健康食品などが良い例です。何億円も売り上げた健康食品が、有効成分が入っていなかったという理由で販売差し止めになったりしています。それだけ売り上げたということは、何度も繰り返し購入している人が大勢いるはずです。

 正直に言えば、ハイレゾと従来のオーディオをキチンと聞き比べたことはありません。電気店の店頭で、ハイレゾイヤフォンと従来品を聞き比べたことはありますが、それではハイレゾか否かの違いの正しい比較はできません。イヤフォンが違うということは、聞こえる音の範囲での特性の違いがあるかもしれないからです。正しくは、ハイレゾ対応の同じイヤフォンやスピーカーを使って、同じ曲のハイレゾ音源と従来音源を聞き比べる必要があります。そうすれば、聞こえる音は全く同じになるはずなので、超音波の有無が比較できます。ただし、どちらがハイレゾか分からないように、ランダムな順番で聞く必要があります。「こっちがハイレゾ」と言われればそちらが良い音に感じる現象が生じるのは心理学的にはあきらかだからです。

 私は、そんな正しい聞き比べをやるまでもなく、違いが判らない自信があります。まあ、そもそもオーディオマニアというわけでも無く、CDの音とMP3の音の違いも良く分からないのに、ハイレゾを聞き分けろというのは無理な話です。

 実はハイレゾは、点の数が多いだけではなくて、1点の情報量が多いという違いもあります。そのため原理的には、デジタル信号では避けられない雑音が小さくなるという効果があります。とは言え、従来オーディオでもその雑音は、音楽と比べて十分に小さく、聞き取れないレベルですので、それをより小さくしたからといって音質が向上するとは思えません。やっぱりハイレゾは買いません。

 

鍋でご飯を炊く

 大学生の息子のアパートに置いてあった炊飯器が壊れたとき、「鍋でもご飯炊けるよ」と言ってみた。案の定「何バカなこと言ってんの」的な反応だった。まあそうだろう。当然だ。でも、鍋でご飯を炊くのはそんなに大変なことじゃない。炊飯器よりも簡単とまでは言わないけれど。

 二十数年前、就職して会社の寮に入った。今ではそんな会社ほとんど無いと思うが、六畳一間で二人部屋だった。部屋には半間の押し入れがあるだけで、洗面所やトイレは共同、食堂はあったがキッチンは無かった。そんな部屋に、ニクロム線の電熱器を置いて、ご飯を炊いて食べていた。鍋は、キャンプ用のコッヘル。ステンレス製だった。そんなに昔じゃない。その当時だってご飯は炊飯器で炊くのが当たり前だった。

 洗面所で米を研いで水加減を合わせたら、コッヘルにフタをして電熱器の上へ。スイッチを入れて15分でご飯が炊きあがる。火加減なんて何もしない。出来上がりに多少のばらつきはあるけれど、慣れてからは、芯が残ったり焦げたりなんてことはほとんど無かった。沸騰すると白い蒸気が激しく噴き出し、それが出なくなったらだいたい炊き上がりだ。あるとき峠の釜めしをお土産にもらってからは、その釜で炊いた。問題無く炊けた。

 ツレアイが出かけて一人だったので、昔を思い出して鍋でご飯を炊いてみた。一人前用の小さな土鍋を使った。IHは使えないのでヒーターの上に置いてスイッチを入れた。ビールを飲んでいると、蒸気が噴き出してきて、やがて出なくなり、スイッチを止めた。飲み終わるまで置いといて、フタを開けるとちゃんとご飯が炊けていた。底がちょっとおこげになっていて、ガリガリ剥がして塩をかけて食べたら旨かった。

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ケンブリッジのパブでビールを飲む

 およそ5年ぶりにイギリスのケンブリッジに行ってきました。仕事です。5年も経てば見違えてしまうような街も世界には沢山あるでしょうが、ヨーロッパの古い街はそう簡単には変わらないようです。キングスカレッジなど、街のあちこちに「カレッジ」と呼ばれるケンブリッジ大学のキャンパスが点在し、それぞれに個性や趣のある建物や庭が、観光スポットにもなっています。本当に古い建物と、新しいけと古っぽく作った建物が良く調和していて、さながらハリーポッターの世界のようです。聞けば、建築の規制は厳しいようで、屋根の形から壁の色まで、色々と決まりがあるそうです。そうやって景観を保っているのでしょう。

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 お楽しみはパブで飲むビールです。初めて来てパブに入ったときは、店に入っても案内されるでもなく、席についてもメニューを持ってくるでもなく、勝手がわからずとまどいました。店によってはオーダーとりに来てくれるところもありますが、基本はカウンターまで行って、その辺にあるメニューを見ながらオーダーして支払いもしてしまいます。ビールはカウンターで受け取って、料理は席まで持ってきてくれます。慣れてしまえば気軽に、気楽にビールが楽しめます。

 イギリスのビールと言えば、やはり色の濃いエール系を飲まないと。エール、ペールエール、インディアペールエールなど、何が違うのか良く分かりませんが、色々種類があります。いわゆる黒ビール(スタウト)もありますがそれともまた違います。中でも、IPAと省略して呼ばれるインディアペールエールがお気に入りです。何というか、香りが良いです。

 ビールを注文すると、何も言わなければ1パイントのグラスで出てきます。日本のロング缶よりちょっと多いぐらいの量です。ビールの銘柄に合わせて専用のグラスが使われることが多いようです。丸く膨らんだグラスや、ラッパ状の高さのあるグラスなど、グラスにも個性がありますが、手のついたジョッキはみたことがありません。1パイントは多すぎるというときは、「ハーフパイント」と言えば半量のグラスに注いでくれます。ハーフパイントのグラスは共通のようで、文字などもなくシンプルでした。

 大抵の場合、泡は少なめで、ビールの液体をほぼグラスいっぱいに注いでくれます。日本では泡もビールのうちとばかり、7:3がいいとか言って泡もありがたがるのですが、イギリスの人は泡はいらないようです。よく、イギリスのエールはぬるいとか言いますが、本当です。と言っても、室温というわけではなく、冷えてるけどキンキンというわけではない、というレベルです。でもそれがそのビールに合っているような気もします。美味しいです。

 日本でも、昨今のクラフトビールブームで、エールやIPAなどをスーパーでも見かけるようになりました。それでも、大手のビールのほとんどは淡色のラガーやピルスナー系のビールです。以前、地ビールメーカーの話として、大手と違うエールが売れるかと思ったら、ピルスナーが人気だったという話を聞きました。やはり、日本人の多くは慣れ親しんだピルスナーを好むのでしょう。食は文化ですから。そう簡単に好みは変わりません。でも、赤ワインだってこんなに普及したのですから、そのうち大手ビールメーカーがIPAを売り出してくれるかもしれません。期待しましょう。

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クジラが大きいのは食べすぎたから?

 NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組を最近よく目にします。

 見るともなしに見ていると、「どうしてクジラは大きいの?」という話題をやっていました。その答えが「食べ過ぎたから」というものでした。えっ?「食べ過ぎたから大きくなった」ということは、食べ過ぎて大きくなった体が子供に遺伝したということでしょうか?

 昔々、「後形質(獲得形質)は遺伝しない」と習ったはずなのですが。確かに、Webでちょっと調べてみると、獲得形質が遺伝する事例が報告されていることがわかりました。とは言え、この番組で説明されているのは、「動物性プランクトンが大発生して餌が豊富だった」「ヒゲを使って大量に餌を食べることができた」という話と、「餌場の冷たい海と子育てする温かい海を行き来するには大きな体が有利」という話だけです。獲得形質が遺伝したから、という説明はありませんでした。そうだとすると、この話は、突然変異で大きな体になったとき、豊富な餌で巨体を維持できて、それが有利な環境があったために生き延びた、というのが適切ではないでしょうか?

 同じ番組の「なぜタンスの足に小指をぶつけるの?」という話題でも、ちょっと違和感を感じました。ゲストが「自分のボディの大きさがわからないから」と答えたが不正解で、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」というお決まりの罵声を浴びせられていました。正解は、「自分が思っているより1cm外側を歩いているから」でした。その根拠として示された実験は、足元が見えない状態で、地面に縦に引かれた線ギリギリに足の小指を置くようにすると、線を踏み越してしまう、というものでした。でもこれだけだと、思ったより「外」に足があるのか、思ったより足が「大きい」のか、区別がつきません。親指側でも同じ実験をして、今度は隙間が空くのであれば、「外」と言えるかもしれませんが、そのような実験結果は示されませんでした。もちろん、研究結果に基づいて正解としているのでしょうから、「外」なのかもしれませんが、「大きさがわからない」というのもそれほど的外れな答えでは無かったと思うのです。

 バラエティ番組なんてそんなもの、と言ってしまえばそれまでですが、「雑」な作りという印象が否めません。科学的な話題を取り扱うのであれば、もう少し丁寧に作って欲しいと思うのです。

 

一番好きな食べ物は?

 大学生の娘から「一番好きな食べ物は何?」と質問を受けた。「一番って言われても色々あるからなぁ」元来優柔不断な私はすぐには答えられない。「じゃあ、好きな食べ物3つでもいいや」と娘。それでも、うーんと考え込む私に業を煮やして、同じ質問を今度は妻にした。ちょっと考えて、「1番がトウモロコシ、2番が焼き芋、3番がモンブランかな」と妻。「ママのせいだわ」と何事か納得する娘。

 聞けば、バイト先で「好きな食べ物」の話になり、「トウモロコシ、サツマイモ、栗ご飯」と答えて周りから否定されたとのこと。それにしても、相談した訳でもないのにこの一致はすごいと思う。そもそも、「好きな食べ物」を問われれば、「焼肉」や「カレーライス」など料理の名前を答えるのが普通だと思う。でもこの母娘が「トウモロコシ」と言うとき、脳裏には茹でたトウモロコシが浮かんでいるのであって、「好きな食べ物」として何の違和感も無いのだろう。2番目のサツマイモ、3番目の栗と合わせて素材だけならパーフェクトな一致だ。数ある食材の中から順番も含めてこれだけ一致する確率は、他人だったらほぼゼロだと思う。

 やはり、「食は文化」であり「おふくろの味」は強烈ということなのだろう。