このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

ツーリングの思い出 ―東北―

 昔々、ヤマハのSDRというバイクに乗っていた。200ccのツーストローク単気筒。メッキのトラスフレームが美しいバイクだった。タンクとフェンダー、そしてシートカウルは「メルティンググリーン」という名前のメタリックな深い緑だった。タンデムシートは無く、一人乗りだ。乾燥重量は105kgと軽めで、とても細身のバイクだった。町乗りするには良いが、荷物を積むところが無かった。でもツーリングが好きだったので、良く出かけた。防水の大きな袋に荷物を詰め、タンクの上に載せて、上からネットをかけてフレームでとめた。荷物を抱きかかえるようにしてバイクに乗り、荷物越しにスピードメーターを見た。お世辞にも格好が良いとは言えなかったが、これしか方法が無いのでしかたが無かった。
 人は、一人旅ができる人とそうでない人に、結構きれいに分けられると私は思っている。バイク乗りもそうで、大勢ならツーリングに出かけるが、一人では絶対に行かない人もいる。私は、ソロツーリングが楽しめる人だ。一人で走って、一人で飯を食い、一人で寝る。それでも楽しい。 初めてのロングツーリングでは一人で東北を走った。当時、仙台に住んでいて、太平洋側を北上して十和田湖まで行き、日本海側を経由して帰る、二泊三日の旅だった。
 初日は、三陸海岸沿いを通る国道45号線を北上し、気仙沼、釜石と抜けて宮古まで走った。東北全体をカバーする地図を一冊持って、タンクの上の荷物とネットの間にページを開いて挟み、見ながら走った。ページの下から上まで走ったら、ページをめくってまた挟みなおした。
 一人用のテントを積んでいて、宮古ではキャンプ場に泊まった。当時、キャンプ場の予約を取るなんて考えもしなかった。地図にある小さな赤いテントのマークを頼りにキャンプ場を訪ねて、泊まれるところを探した。確かこのときは、浄土ヶ浜付近のキャンプ場だったと思う。海岸は、砂浜ではなく、石ころの浜だった。
 二日目は、朝早く目を覚ました。朝食をどうしようかと考え、小岩井農場で食べることに決めた。テントをたたんで支度をして、北上山地を横断する国道106号線を盛岡に向かって走り始めた。106号線は川に沿って走る道で、高速コーナーが続く気持ちのよい道だった。たぶん100kmぐらい走って、小岩井農場についた。朝飯前だ。開園したばかりの農場で、朝ごはんを食べた。でも、何を食べたのかは覚えていない。
 そこから、どこをどう通ったのか定かでは無いが、とにかく下みちを北上して十和田湖まで行った。また、地図を頼りにキャンプ場を見つけて泊まった。
 三日目も早起きして走り出した。日本海に向けて。かつて八郎潟だった干拓地の田んぼの間を走るころには天気が怪しくなってきて、男鹿半島についたときには雨が降り出していた。先端の入道崎まで行ってみたが、雨に煙ってあまり景色は見えなかった。その後、昼飯は確か秋田市内でラーメンを食べたはずだ。電話ボックスに入り、市外局番付きの177で、行く先の天気を調べたりした。そして、次の目的地の栗駒山に向けて走り出した。
 栗駒山について、キャンプ場も見つかった。でも、なぜだったか忘れてしまったけれど、泊まるのはやめて、そのまま仙台に帰ることにした。もう日も暮れていた。一関あたりに出て、国道4号線をひたすらに南下した。この日はちょうどお盆休みの後半で、Uターンラッシュの車で、どこまでも渋滞していた。仙台までの数十キロの道のりを、ひたすらに路肩をすり抜けながら走った。
 結局この日は、高速道路を使わずに、550kmほど走った。我ながらちょっと無茶だったと思う。若かったと言うべきか。今ではとてもできない。