このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

桜の開花と因果関係

今年も桜が咲いた。

駅から職場まで、天気が良い日は25分程度の道のりを歩くことにしている。駅に隣接するショッピングセンターを通り抜けると、裏通り沿いに古い桜の木がある。ただの街路樹にしては大切にされている感じで、幹の周りが丸く石で囲まれている。何か謂れのある木なのかもしれない。犬が一匹、満開の桜をバックに写真に収まっているところだった。伸ばした枝の先々まで、精一杯花びらを広げた様は、なかなか壮観だ。通りを渡ってから、思い直して振り返り、私も写真を撮った。今シーズンは花見の機会に恵まれず、桜の写真はこれ1枚となった。

桜の季節になると思い出す喩え話がある。相関関係と因果関係の違いを説明する話しだ。曰く「東京で桜が咲くと、何日か後に決まって仙台で桜が咲く。だからと言って、東京の開花が原因で仙台の開花という結果が生じるわけではない。つまり、東京の開花と仙台の開花には相関関係はあっても因果関係は無い」と。例えば、「子供を沢山だっこする」ということと「優しい性格の子供になる」ということに相関関係があるというデータがあったとしよう。これはつまり、「沢山だっこして育てた子供はそうでない子供よりも優しい子が多い」というデータだ。これを見ると、「沢山だっこして育てると優しい性格になる」と考えたくなるが、必ずしも正しいかどうかはわからない。「だっこ」と「優しい性格」の間の因果関係が証明されたわけでは無いのだ。桜の喩えでは、2つの開花には「気温の上昇」という、共通する隠れた原因がある。同じように、「優しいお母さん」という隠れた原因があって、「優しいお母さんは沢山だっこする」と「優しいお母さんの子供は遺伝的にやさしい」という2つの因果関係があるだけかもしれないのだ。さらに可能性としては、「優しい子供はかわいいので、つい沢山だっこしてしまう」という反対の因果関係さえありうる。

桜の話から、理屈っぽい話になってしまった。でもこんなような、相関と因果の混同、もしくは意図的なすり替えが、世の中にはあふれているような気がする。騙されないようにしなければ。