このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

価値観について

そんな大層なタイトルで書く話でも無いのですが、前から思っていたことをふと思い出したので、書き留めておこうと思います。

私はコーヒーが好きで、よく自分でいれて飲みます。家族の分も一緒にいれることもよくあります。コーヒーをいれると、私はすぐに飲みます。なぜって、いれたてが美味しいからです。自分でいれたときはもちろん、いれてもらったときも、何をおいてもコーヒーを飲みます。入れたてのコーヒーが冷めていくのを見過ごすことはできません。

一方、私が家族にコーヒーをいれたときの家族の反応は、これとは違います。「コーヒー入ったよ」と言って、私はさっさと飲み始めるのですが、飲み終わってもまだ来ないこともよくあります。当然、コーヒーはどんどん冷めていきます。はじめのころは、「飲みたいというからいれたのに、いったい何なんだ?」と、内心憤ったものですが、だんだん分かってきました。つまり、コーヒーがいれたてであるということに、価値をみいだしていないのです。いれたてでも、冷めても、暖め直しても、価値に変わりがないと感じているということです。それは言い過ぎだとしても、今やっている仕事や勉強を中断したり、テレビの前を離れたりするほどの価値は無いと感じているということです。このことは、感覚的には、私には全く理解できないことですが、そのように考えなければ説明がつきません。ですから、そのように理解することにして、ツレアイや子供達のためにいれたコーヒーがさめていっても、努めて気にしないことにしました。

この話の教訓は、人が何に対して価値を見いだしているかなんて、わからないし、想像できないということです。冷めていくコーヒーを前に、私が憤っていたことなんて、家族には想像もできないことだったでしょう。裏を返せば、自分が価値を見いださないことについては、だれか他の人を憤らせているかもしれないということです。