日本円は本当に大丈夫なのか?
2008年のリーマン・ショックのころにアメリカで銀行員をやっていたという人の話を聞いたことがあります。サブプライムローンなんてどう考えても危ないと思っていたそうです。でも、いつまでたっても問題になる様子が無かったので、大丈夫かもと思って手を出したとたんに問題が起きて、多額の借金を背負う結果になったとか。
今朝のニュースで当時の日銀の話をしていました。アメリカのサブプライムローンに危険性があることは認識されていたようですが、アメリカの金融当局が大丈夫というから大丈夫なのだろう、と考えていたというような話でした。でも問題は起きました。
さて、日本の借金は大丈夫なのでしょうか。2016年12月末で、1066兆4234億円。国民1人当たり約840万円だそうです。財務省のサイトにある「我が国財政について」という資料の冒頭には、次のように書かれています。「我が国の財政は、毎年度の歳出のうち3分の1を借金に依存している。すなわち、現世代にのみ便益が及ぶ支出の多くを現世代が負担することができていない状態が続いている。この結果、平成27年度末の借金の残高は、対GDP比で248%となっており、将来世代に対し、国際的にも歴史的にも例がないほど膨大なつけを残してしまっている。」本当に大丈夫なのでしょうか。
今のところ、国債や円が暴落したり、インフレが進んだりする兆しは見えません。経済学者も大丈夫だと言っています。日本の国債を買っているのはほとんど日本人だから大丈夫だとか、いろいろ理由は説明されています。でも、信じられるでしょうか?リーマン・ショックだって直前まで好景気だったし、経済学者も金融当局もいろんな理由を並べて「大丈夫だ」と言っていたのです。
株や外貨はリスクがあるというのですが、銀行に円を預けておくのもリスクが高いような気がしてなりません。さて、どうしたものか・・・
ぐりとぐらのうた
- 作者: なかがわりえこ,おおむらゆりこ
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1967/01/20
- メディア: ハードカバー
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有名な絵本「ぐりとぐら」で主人公のぐりとぐらは歌を歌いながら登場します。
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら
このよで いちばん すきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら
まだ子供が小さかった頃、この絵本を読みながら、歌のメロディーを考えたことを思い出しました。みんなどんな風に歌っているのかと思って検索してみたら、「この詩をこう歌っています」と読者から送られた楽譜を集めた本があることを知りました。
せっかくなので、昔考えたメロディーを思い出して歌にしてみました。楽譜はmusescoreというソフトで書いて、Sinsyという歌声合成システムで歌わせました。初音ミク(ボーカロイド)ではありませんが、似たようなシステムで、無料で使えます。うまくプレーヤーが貼り付けられなかったので、MP3ファイルのリンクをとりあえず張りました。クリックして聞けない場合はダウンロードしてみてください。
300文字小説「20XX年」
しばらく前に新聞の「300文字小説」に投稿したのですが、ボツになったようなので、こちらに掲載します。悪くないと思ったんだけどなぁ・・・
20XX年
「昔は、人工知能の発達は危険だなんて言われてたらしいよ」
「まあ、そうなの?でも自動運転なんかも人工知能のおかげなんでしょ?」
「そうだよ。全ての車が自動運転に切り替わってから、交通事故は起きてないらしいね。」
「安全になったし、平和にもなったわよね?」
「ミサイルなんて百発百中で撃ち墜としちゃうからね」
「それに、健康に気をつければいつまでだって長生きできるようになったし」
「うん」
「そう言えばあなた、そろそろ定期健康診断じゃない?」
「そうそう、今度は念入りに全身オーバーホールしてメモリも新品に入れ替えようと思うんだ」
この繁栄も全て人工知能のおかげだ。人間にはちょっとかわいそうなことをしたけれど。
喫煙はマナーの問題か?
昨日車を運転していたら、前を走る車の運転席から、「ポイッ」と火のついたタバコが投げ捨てられました。「タバコなんて禁止してしまえ!」と、その瞬間私は思います。でも、そんなことを言おうものなら、喫煙者は言うのです。「タバコが悪いわけではありません。たまたまその人のマナーが悪いだけです。」一見、正論に聞こえます。でも、本当でしょうか?
「◯◯が悪いのではありません。◯◯を不適切に使う人が悪いのです。」という主張について考えてみましょう。例えば「銃」ならどうでしょうか。「銃が悪いのではありません。銃を不適切に使う人が悪いのです。」という主張はアメリカなら正論で通るでしょう。でも日本ではそうではありません。犯罪に利用する「マナーの悪い人」がゼロにならないのだから、禁止すべきというのが日本では正論でしょう。では、「包丁」なら?包丁を使った殺人事件が起きたからといって、「包丁は禁止すべきだ」などと言ったら、「包丁が悪いのではありません。包丁を不適切に使う人が悪いのです。」とたしなめられてしまうでしょう。言うまでもなく包丁は家庭の必需品ですから、禁止した場合のデメリットが大きすぎます。
さて、タバコは銃と包丁の間のどのあたりに位置するのでしょうか。私のような非喫煙者で嫌煙者にとっては、タバコの利益は何一つありません。一方で、「マナーの悪い人」はゼロにはなっておらず、歩きタバコの煙で不快な思いをしたり、健康被害を被ったり、吸い殻で街が汚れたり、火事がおきたり、不利益は沢山あります。飲食店内を禁煙にする法案が議論されていますが、その程度の対策で「マナーの悪い人」がゼロになるとは思えません。私にとってはタバコは銃と同じで、禁止すべきものです。もちろん、喫煙者はタバコのメリットを口にするでしょう。そのメリットがあったとしても、喫煙者やその家族にも重大な健康被害が及ぶことも周知の事実です。今や成人の20%を下回る喫煙者のメリットと、喫煙者を含む全国民のデメリットを秤にかけたとき、喫煙は禁止するのが妥当だと私は思うのですが。
なぜ「核ミサイル」は「各ミサイル」になったのか?
日本語のアクセントというのは不思議な存在で、国語辞典には書いてありません。東京方言(いわゆる標準語)と関西方言ではアクセントは全然違いますが、どちらも日本語には違いありませんし、どちらでもたいていは通じます。その意味では、辞書に明記してある英語のアクセントとはちょっと違うもののようです。とは言え、テレビのニュースなどではもっぱら東京方言のアクセントでアナウンサーは喋っています。では、正しいアクセントの拠り所は何かというと、NHKが出版しているアクセント辞典が使われているようです。18年ぶりに改定されて、NHK日本語アクセント新辞典として昨年出版されました。そこで改定されたからかどうかは確認していませんが、最近NHKのニュースを聞いていて気になるのが「核ミサイル」のアクセントです。北朝鮮がらみのニュースで多用されるのですが、これが「各ミサイル」に聞こえてしかたがありません。日本語のアクセントは、おおよそひらがなの文字単位(「きゃ」などの拗音や、撥音「ん」、促音「っ」、長音「ー」も一つの単位)での高低で表されます。NHKニュースでの「核ミサイル」はこんな感じです。
か | さ | ||
くみ | いる |
これだと、私には「各ミサイル」に聞こえてしまいます。おそらく以前は、
くみさ | ||
か | いる |
というアクセントで話されていたはずです。これが、アクセント辞典改定の結果だとすると、なぜこんな紛らわしいアクセントにしたのか、理解に苦しみます。
「ゆんたく高江」に行ってきました
「第10回 ゆんたく高江」に参加しました。七尾旅人のライブが見たかったので。
1年ほど前、沖縄に機動隊が大量に導入されて、座り込みをしている住民を強制的に排除したこと。その機動隊員が住民に「土人」と暴言を吐いたこと。などは記憶に残っていましたが、それが沖縄の高江というところであること、それがオスプレイのヘリパッド建設に対する反対運動であること、などとは記憶の中で結びついていませんでした。このイベント「ゆんたく高江」は、そんな高江の現状を共有し、高江について話そう、というイベントでした、実は。
高江の住民の方々の話を聞くと、高江で今も起こっていることがどんなに異様なことかが分かってきます。国民を守るためではなく、米軍のヘリパッドを建設するために、全国から500名の機動隊員(警察官)が集められて高江に投入されたこと。建設現場に続く1本の生活道路を機動隊が封鎖し、何の武器も持たずに座り込んでいた住民の手足を掴んで排除したこと。作られたヘリパッドから飛び立ったオスプレイは、昼間から夜遅くまで高江の上空を飛び回り、爆音と恐怖を住民に与えること。オスプレイの飛行差し止め訴訟では、住民側が測定して提出した爆音の音量データは証拠として採用されず、被告側が提出したデータだけを裁判所が見て、原告敗訴となったこと。
これが東京で起きたら、大々的に報道され、国民から避難を浴びて、政府はこれを続けることはできないでしょう。ところが沖縄では、高江ではこれが起き、今も続いています。遠い国の話ではなく、同じ日本の話です。取材だって自由にできます。同じ人間、同じ日本の国民だと思っていれば、こんなことは出来ないはずではないでしょうか。裏を返せば、沖縄の人たちを、同じ人間、同じ日本の国民だと思っていないのではないでしょうか。
こんな差別意識を払拭するためにも、何が起きているかを広く知ってもらい、住民の思いに共感してもらうことが必要なのでしょう。政府にも届いて欲しい。
『不毛地帯』の2巻を2冊買う
『不毛地帯』は山崎豊子の小説で、映画にもなっていて有名です。文庫本の1巻を買って読んでみて面白かったので、続きを買いにブックオフに行きました。そして、2巻を2冊と3巻、4巻を買ってきました。なぜでしょうか。
ブックオフの文庫本コーナーで本を探すと、2〜4巻が揃っていました。これを買えばいいやと思ったのですが、その下の棚に、明らかに厚みの違う2巻を見つけました。最初は意味が分からなかったのですが、ページをめくってみて気が付きました。『不毛地帯』の文庫は2回発行されていて、最初は昭和58年発行の全4巻、次は平成21年発行の全5巻です。私が最初に読んだのはどうやら平成版の1巻で、ブックオフに揃っていたのは昭和版の2〜4巻でした。これでは話がつながらないので、平成版の2巻も購入したという訳です。平成版の3〜5巻は在庫が無かったので仕方ありません。どちらにしても1冊100円なので損はありません。
昭和版はかなり厚みがあるので、再発行にあたって全5巻にして薄くするのは理解できるのですが、背表紙のデザインまで同じだと混乱してしまいます。間違って買ってしまった人がいるのではないでしょうか。間違ったことに気がつけばまだいいですが、内容が抜けていることに気づかずに読んでしまうと残念な感じです。