このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

リビングに洗濯物干しを作る

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 いったい何を作ったのか、作ったのはどの部分なのか分からないかもしれません。作ったのは水平に伸びている板と、それを中央で吊り下げている板の部分です。これは洗濯物干しです。よく部屋干しするのですが、かけるところが無いので、ロフトにのぼるハシゴ(写真に写っている斜めのやつ)にかけたり、パイプでできた物干し台を部屋に置いたりしていて、もっとスッキリと干せないものかと前々から思っていました。そこで、(1)リビングなので見栄えが悪くないこと、(2)部屋に釘やネジを打たないこと、(3)お客さんが来るときなどに簡単に取り外せること、という条件を満たすような物干しを考えました。真ん中の板はハシゴの上部に引っ掛けてぶら下がる構造になっていて、その板に穴をあけて長い板を通しています。長い板はハシゴとも接触しているので、左には傾かないようになっています(先に右側に洗濯物をかけると傾きます)。釘やネジはどこにも使っていないので、取り外すのは簡単です。いつもは塗装はせずに白木のままにするのですが、今回はハシゴの色に合わせてニスを塗ってみました。強度がちょっと心配でしたが、けっこう沢山かけても歪んだりすることは無いようです。思ったとおりにできました。

 

大晦日の午後に娘と作るおせち料理

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 2017年の大晦日。休日診療所で妻がインフルエンザと診断され、帰省を取りやめて自宅での年越しとなった。お年取りは、何かありものを食べるしかないなと思っていたところ、大学生の娘が作り始めた。まずお雑煮の汁だ。Webで調べて「大根なんて入ってたっけ?」とか、「出汁ってどうすればいいの?」なんて言いながら、ゴボウのささがきなど作っている。

 何か手伝おうかと思っていると、「小豆があるからアンコ作ってよ」と突然の指示。「えっ、今から!」と思ったけれども表情には出さず、「粒あんでいいよね」と素直に作ることにした。小豆は600g弱ほどあった。作り方を調べてみると、砂糖も同量入れるらしい。お菓子の類は何でもそうだが、砂糖の量に驚く。これを全部食べてしまうのかと思うと恐ろしい。何度も具合を見ながらやわらかくなるまで煮て、砂糖を加えてあんを練った。小学生のころ、母がこしあんを作るのを手伝って以来だ。この時もそうだったが、今やっても餡練りは重労働だ。軍手をはめて木べらでなべ底から混ぜながら暫し煮詰めて完成した。

 やれやれと思っていると、「ひき肉あるから松風焼きでも作ったら」という次の指令が飛んできた。「えっ、まだ作るの?」とは言わずにWebでレシピを検索した。鶏挽肉を解凍し、ネギとショウガをみじん切りにして調味料と一緒に混ぜて、四角く作ったアルミホイルに敷き詰めてオーブンで焼く。書けば簡単だが実際やるのはそうでもない。予想外に分厚くなって、四角いハンバーグのようになったがまあ良しとしよう。白ゴマをふって羽子板のような形に切り分けた。

 娘はと言うと、雑煮の汁を作り終えて、野菜の生ハム巻きを仕込んだりしていた。日もとっぷり暮れて、そろそろ盛り付けをと思っていると、「あと煮物作る」と言い出した。続いて「ウズラの卵あるし、竜眼つくってよ」。・・・はい。またまた検索。ウズラのゆで卵を海苔とササミで巻いて、小麦粉をつけて揚げ、しょうゆをからめる。ササミは無いので豚モモスライスで代用。揚げてから卵の真ん中で切り分けて完成。

 買ってあった蒲鉾、伊達巻、錦卵、黒豆、きんとん、田作りとなどと一緒に盛り付けると、それなりにおせち料理の体裁が整った。娘の成長を実感した年末だった。人使いがうまい(荒い?)。以外と将来出世するかも。親バカか。

サンタクロースを廃業した理由

 私には、サンタクロースの存在を信じていたという記憶が無い。物心ついたときから、クリスマスのプレゼントは両親からもらうものだった。当然、両親に「あれが欲しい」とお願いしていた。何の問題も無かった。

 自分が親になり、子どもたちの物心がつくころ、世間並みに「サンタさんに何をお願いする?」というのを始めてしまった。やめようって言ったのか言い出せなかったのか忘れてしまったけれど、あまり気乗りはしなかった。でも、サンタがいないなんて子供に言うのは「夢が無い」という空気はあった。

 以来、何年も「サンタクロース」としてプレゼントを送り続けてきた。でも、息子が中学生になったとき、とうとう我慢がならなくなって、サンタを廃業することにした。息子には、「まさかサンタクロース信じてないよね」ぐらいでOKだった。当然だ。問題は、当時小学5年生の娘だった。もう小5ならサンタを頭から信じているなんてことは無いだろうとは思ったが、ちょっとだけ婉曲に「サンタはもう来ないから、これからはパパとママがプレゼントをもらって」みたいなことを書いた手紙を枕元においた。「やれやれ、サンタはやめちゃうんだね」的な反応かと思いきや、大泣きされて心底驚いた。でも、後戻りはできないし、後悔もしていなかった。

 振り返って、何が我慢できなかったのか考えてみた。一つは、やはり子供に嘘をつくのが気持ち悪かったのだと思う。夢があろうが無かろうが、子供を騙していることに違いはない。まして、子供の方もうすうす騙されていると気が付き始めてからもなお、騙そうとし続けるなんて嫌だった。プレゼントを送っているのは親なのだから、親に感謝すべきだという思いもあった。サンタなんてやつじゃなくて。また、非現実的な存在を子供が信じているということに対する嫌悪もあったかもしれない。煙突が無くても、どこからともなく侵入して、全世界の子どもたちに一晩のうちにプレゼントを届けるなんてことを信じているはずがないと思いたかった。

 少年少女がこのブログを見ることなんて無いとは思うけれど、もしこれを読んでいるあなたが両親から「サンタさんに何をお願いする?」と聞かれたら、こう答えよう。「今までプレゼントありがとう。これからはサンタさんじゃなくて、パパとママからプレゼントして欲しい」って。ちょっとがっかりされるかもしれないけれど、その方が健全だと私は思う。

 

アイアンとアイロンの違い

 もうずいぶん昔の話になるけれど、アメリカの大学からインターンの学生が職場に来ていて、一緒にゴルフに行ったことがありました。日本語も堪能なその学生が、「5番アイロン」とか言うのを聞いて、「えっ、アイアンじゃないの?」と尋ねると、「同じでしょ」と。確かに、アイアン(鉄、鉄製のクラブ)とアイロン(火のし)の語源はどちらも iron です。発音は英語で2通りあるようですが、発音で意味が変わるわけでは無いようです。

 おそらく、アイロンが日本に持ち込まれたとき、「それは何だ」と尋ねられた人が、「アイアンだ」と言わずにたまたま「アイロンだ」と言ったのではないか、と想像します。余談ですが、「トランプ(trump)」というのは英語では「切り札」という意味だとか。昔の日本人が「それは何だ」と尋ねた指先にたまたま「切り札」があったのではないかと。

 さて、アイアンとアイロンのような言葉って、他にもあるのだろうかと気になってきました。元の言語では一つの単語だったものが、異なる複数の外来語として定着した言葉、というようなものです。ダイアモンドとダイヤモンドのように、表記は違うけれど意味は同じというのは除いて、意味も表記も異なる外来語になっているものです。身近なもので考えてみました。

 ガラスとグラスは該当しそうです。英語ではどちらも glass ですが、窓にハマっている板状のガラスと、飲み物を入れるガラスでできた器のグラスに分かれています。アイアン・アイロンの例とは違って、ガラスとグラスに対応する英語の発音があるわけでは無いようです。日本人がカナで書くときにガラスと書いた人とグラスと書いた人がいて、なぜだか表記の違いと意味の違いが結びついたのでしょう。

 では、モバイルとモビールはどうでしょう。英語ではどちらも mobile です。モバイルは、カーナビや携帯電話などが広まって使われるようになった比較的新しい言葉のように思います。移動する、機動性のある、というような意味で mobile の形容詞の意味がこれに相当します。一方モビールは、バランスをとってユラユラ揺れるオブジェのことで、これは mobile の名詞の意味です。辞書を引いてわかったのですが、名詞の mobile は「モビール」と発音して、形容詞の方は、日本語のカナに当てはめると「モービル」「モビール」「モバイル」に近い発音のバリエーションがあるようです。元の言語でも発音と意味に対応があるので、厳密には探している例とはちょっと違うようです。ちなみに、石油会社の「モービル」は Mobil でそもそも違う単語でした。

 カップとコップも該当するだろうと思って辞書を引いてみたのですが、意外にもコップの語源は cup ではなく、ポルトガル語の kop という単語なのだそうです。残念。もっと沢山見つかるかと思ったのですが、意外と思いつきません。多分もっとあるはずなので、思いついたらまた書きます。

 

雨の降る日はパンを焼く

 季節外れの長雨の最後は台風の上陸となりそうだ。予定していたテニスは、先週に続いて中止になってしまった。どうしよう。そうだ、パンを焼こう。ということで、土曜日は朝からベーグルを焼いた。なぜベーグルかと言うと、昼食に食べようと思ったからだ。ベーグルは、比較的短時間で作れるパンだ。2時間ぐらい。独特のもっちりとした食感は、発酵させた生地を茹でる工程から生まれてくる。他のパンよりひと手間多いが発酵の時間などが短いため、トータルでは早く出来上がる。

 生地をこね始めたところで、妻が外出先まで車で送って欲しいと言う。どうしよう。免許取り立ての娘に、車の運転とパンこねのどちらを代わってもらおうかと思案した結果、パンをこねてもらうことにした。雨の日の運転はまだ不安があるからだ。パンこねを任せるのもちょっと不安があったが、悪くてもパンが膨らまないだけだ。リスクは低い。

 幸い、パンはそこそこ膨らんだ。娘が頑張ってこねてくれたようだ。形が不揃いなのは私の整形がいい加減だからで、娘に否はない。

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  予定通りランチでいただくことにしよう。せっかくだからサンドイッチを作ろう。BLTといきたいところだが、レタスもトマトも無い。ベーコンはあったのでフライパンで焼く。野菜はキュウリで、薄くスライス。目玉焼きとスライスチーズも乗せた。いつものように黄身を半熟にしたら、一口かじったところでボタボタとタレて大変なことになったけれど、美味かったから良しとしよう。もう一個のベーグルはブルーベリージャムでいただいた。これも美味かった。

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  さて日曜日。また朝から雨で、台風の接近で強まるばかり。どうしよう。そうだ、パンを焼こう、ということで、今度は食パンにとりかかった。ベーグルに続いてライ麦粉の入ったパンにする。定期的にライ麦パンが食べたくなってライ麦粉を買ってしまうのだが、これがなかなか減らない。粉全体に対して、せいぜい10〜30%程度しか使わないので、500gの袋を消費するにはかなりの回数ライ麦パンを焼く必要がある。うかうかしていると消費期限が来てしまうので、ライ麦パンが続くことになる。

 一般にライ麦の入ったパンは、膨らみが小さく、ちょっと詰まった感じの固めのパンになる。食パンの場合はあまり入れ過ぎると残念な結果になる可能性大なので、10%に留めることにした。焼きあがってみると、以外と膨らんで大ぶりなパンになった。前回焼いた強力粉100%の食パンよりも、心なしか膨れているような気がする。コネか、発酵の温度か時間か、何が原因かは分からないことも多いけれど、出来栄えは毎回違っている。これだからパン作りは面白い。

 明日の朝は、トーストをゆっくり食べながら台風をやり過ごし、のんびり出勤することにしよう。

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幸せ通り

 最寄り駅から職場まで、バスで10分の道のりは、歩くと25分ほどかかる。健康のためにも、天気が良ければ片道は歩くようにしている。バス通りは空気が悪いので避ける。開店前のショッピングセンターを抜け、団地を通り、住宅地の細い路地をテクテク歩く。

 駅から7,8分歩くと、「幸せ通り」に出る。200メートルほどの、センターラインのない細い道だ。朝は、通勤の人たちや通学の小中学生でそれなりに人通りがある。この道を通るときは、自分の幸せを何か見つけることにしている。「天気が良くて気持ちがいい」「昨日の夕飯は美味しかった」とか。何でもいいと思っている。何度も通っていると「息子が帰ってきて誕生日を祝った」「娘と話が弾んだ」とか、家族とのことが思い出されることが多い。あとは、「楽しくテニスがプレーできた」など、健康であることとか。「仕事がうまくいった」というようなことはあまり思い出されない。幸せのタネはもっぱら家庭にあるようだ。

 きっかけは、テレビのニュースか何かだった。ある企業では、朝礼で一人ずつ「嬉しかったこと」のようなお題で一言話をするのだそうだ。そのようなポジティブな話題で話すことで、前向きな気持ちでその日の仕事に取り組むことができる、というような内容だった。歩きながら、このニュースのことを考えていて、自分の幸せを毎朝一つ見つけてみるのはどうだろうと思いついた。朝礼のような機会があるわけではないので、今歩いているこの道を通るときの習慣にしようと思い立って、その道を「幸せ通り」と呼ぶことにした。

 夏場は歩くのがシンドイのでバスに乗ることが多かったが、涼しくなって歩くのを再開した。効果のほどは分からないけれど、大した努力が必要な訳でもないので、「幸せ通り」の習慣はなんとなく続いている。

ライバルはホームベーカリー

 パンを焼き始めたのは、かれこれ20年以上前のことです。子供のころから、母を手伝ってケーキやクッキーを焼いたりするのが好きでした。結婚して子供が生まれた後、小さいながらオーブンもあったので、パンの手作りをはじめました。食パンばかり作って、朝食で食べました。山形食パンのてっぺんが、オーブンの天井にくっついてしまったりして、売り物みたいとはいきませんでしたが、それでも美味しくいただいていました。

 何年かして、知人の家でホームベーカリーのパンをごちそうになりました。自動でこんなパンが焼けるなんてすごい。我が家でも購入しました。夜、寝る前に材料を投入しておけば、朝には焼きたてのパンが食べられます。ホームベーカリーのパンは、クラスト(いわゆるパンの耳)は硬くて厚いものの、クラム(中の白い部分)はふわふわで美味しいです。正直なところ、自分で手捏ねして焼いたパンよりも、あきらかに一回り大きく膨らんでいます。

 人がやっていたことを機械で自動化しようと思えば、人がやるプロセスを忠実に真似させようと思うのが普通です。でも、ホームベーカリーは違います。手捏ねなら、強力粉や水、砂糖、塩などと一緒にイーストも混ぜて捏ね始めるのですが、イーストは入れずに捏ね始め、さらにねかせてからイーストを入れてまた捏ねるという工程になっています。開発者は、かなり試行錯誤したのではないかと思います。タイマー予約で指定の時間に焼き上げること、捏ね・ガス抜き・整形などはパンケースの底の羽根だけでやること、発酵から焼成までの温度管理はすべて生地をパンケースに入れたまま行うことなど、強い制約の中で美味しいパンを焼き上げる機械を開発した技術者には頭が下がります。我が家で購入したのは当時のナショナル製で、今はパナソニック製の2台目を愛用しています。

 その後しばらく、パンの手作りはやらなくなりました。苦労して捏ねなくても焼きたてのパンが食べられるのですから。でも、さらに何年かたって、少しずつまた手捏ねのパンを作り始めました。パンを作るのは、食べたいからという理由だけではなく、作るのが楽しいからだ、ということを思い出しました。オーブンの中でグングン窯伸びするパンを想像しながら一生懸命捏ねる工程が楽しいのです。ホームベーカリーで作れるのは、基本的に食パンですので、それ以外の形のパンをもっぱら作るようになりました。

 昨日は、久しぶりに山型食パンを焼いてみました。いつもよりも入念に、30分ほど捏ねて焼いた食パンは、まあ悪くない出来栄えです。今朝の朝食で、ちょうど半分を家族でいただきました。ホームベーカリーのパンとはまた違った食感で、これはこれで美味しいです。伸び具合ではまだかないませんが。

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