このごろ思うことなど

ふと思ったこと、思いついたこと、作ってみたものなどについて書いています。

新聞のクロスワードパズルで当選しました

新聞のクロスワードパズルに応募したら1万円の商品券があたりました。数年前の余った年賀状を消費しようと思って応募したものでした。懸賞を集めたサイトもあって、選択肢はたくさんあるのですが、最近はWebでも応募できるものがほとんどです。せっかくハガキで応募するのだから、ハガキでしか応募できないものに、と思ってクロスワードパズルに3周ほど連続で応募していました。1万円といえば、100万円を銀行の普通預金に預けたとすれば、今なら1000年分の利子に相当します。馬鹿にできません。

二階リビングのメリット・デメリット

家を建ててから12年半ほど経ちます。間取りだけは自分で設計しました。あれこれ試行錯誤しながら考えた結果、リビングは二階にもってきました。述べ床面積が90平米ちょっとの木造2階建てで、ツーバイフォー工法です。形は、細長い長方形のほぼ総二階で、一階が玄関・主寝室・子供部屋2つ・トイレで、二階がLDK・洗面所・ユニットバス・トイレの間取りです。今まで住んでみて、良いと思う点と残念な点をまとめてみます。

【メリット】

  • 眺めが良い

 我が家は傾斜地に建っていて、隣の家が一段低いので、リビングの一番大きな窓から遠くが見渡せます。一階だと隣の家の二階がかぶってしまいます。一般的に言える話ではありませんが、同じような立地であれば、景色と開放感のためにリビングを二階にする価値があると思います。

  • 日当たりが良い

 これも立地によりますが、隣家の影になりにくいので、やはり一階よりは日当たりがいいです。

  • 天井を高くできる

 我が家はリビングの一部が傾斜天井(屋根裏が天井)で、天井が高くなっています。「大物を育てるには天井を高くすればよい」というハウスメーカーの昔のCMが本当かどうかは定かではありませんが、広々として私は好きです。リビングの上にロフトを作り、天窓もつけました。

  • 冬暖かい

 天気の良い日の昼間は、冬でも比較的暖かいです。一階とは明らかに温度が違います。

  • 構造的に丈夫

 ツーバイフォーは壁で支えるので、仕切りの少ないLDKは二階の方が構造的には丈夫だと設計士の方が言っていました。

  • 間取りに無駄が無い

 階段を上るとドアが無くそのままリビングになっているので、二階には廊下がありません。洗面所やトイレもLDKに直結なのは、ちょっと心配しましたが、住んでみると何の問題も無く、むしろ便利で使いやすいです。廊下の面積を最小にしようと思うとこの間取りがベストでした。

【デメリット】

  • 階段の上り下り

 当然ですが、階段の上り下りの回数は増えてしまいます。今は元気だから良いのですが、足腰が弱ってきたら大変かもしれません。エレベーターでもつけられるように考えておいたほうがよかったかもしれません。

  • お湯がなかなか出ない

 水周りは全部二階ですが、ガス給湯器は一階の屋外にあります。結果として配管が長くなっていますので、お湯がなかなか出てきません。

  • 夏暑い

 当然ですが、冬暖かいのと裏返しで、夏は暑いです。真夏に外出して締め切った部屋に帰ってくると、平気で40℃を超えていたりします。

  • 家具などの搬入

 引越しのときは、業者さんが気合でベランダから吊って入れてくれましたが、その後に洗濯機や冷蔵庫を買い換えたときは、階段を通るかどうかが心配でした。手すりを外したりしてなんとかギリギリ通しましたが。アップライトピアノを入れたときは、もちろん階段は通らず、道路に面した窓も通らなかったので、クレーンで吊って隣の家の屋根を越えて、大きな窓から入れました。

ご参考まで。

クリスマスの定番シュトーレンを焼きました

ここ数年クリスマスの定番になっているシュトーレンを焼きました。たまたまテレビで放送していたクリスマスケーキについての番組によると、本場ドイツではライセンスが無いと売り物のシュトーレンは作れないのだとか。事細かに仕様が決められていて、フルーツは小麦粉の量の70%以上入っていなければいけないそうです。これはフルーツ40%程度なので、本場ではシュトーレンを名乗れません。テレビでは、焼きあがったシュトーレンを粉砂糖のプールに入れて、雪ダルマのように塗りつけていましたが、さすがに手作りでは真似ができません。まあ、売るわけではないので、美味しければいいのですが。バターもたっぷり入ってカロリー高めなので、少しずつ楽しみながら頂いています。

REGZAでlinuxのハードディスクに録画する

我が家のテレビREGZAのZ2000は、LAN接続のハードディスクにしか録画できない仕様で、NASを1台LANにつないで録画をしていました。いっぱいになったのでハードディスクを増設したのですが、NASは高いのでUSBのハードディスクを買いました。PCにUSBで接続したハードディスクには録画できていたので。ところが、やってみるとどうしてもうまく行きません。調べてみると、WindowsXPでは録画できたのに、Windows7ではできなくなったとのこと。結局、苦労してハードディスクにlinuxをインストールし、Sambaを設定してやっと録画ができるようになりました。設定はこちらのサイトのお世話になりました。
http://noajitte.seesaa.net/article/245009972.html

我が家の場合、linuxマシンは24時間稼働というわけではないので、しばらく見ない番組をNASからlinuxに移動して普段の録画はNASを利用し、見たいときにlinuxを立ち上げるという運用にしました。linuxマシンで録画したファイルの移動は可能なのですが、ファイル名を見ても番組がわからないのが難点です。そこで、ファイル名を確認して移動するスクリプトを作りました。これが必要な人はほとんどいないとは思いますが、せっかく作ったので掲載します。
regza.py 直

python3のスクリプトです、使い方は、録画してあるディレクトリをdir1、移動先のディレクトリをdir2として、

python3 regza.py dir1

で起動すると、番組タイトルのリストが番号付きで表示されます。番号を指定して、録画したファイルを移動できます。例えば、3,10,12の番号の番組を移動するなら

dir1>> mv 3 10 12 dir2

こんなコマンドを打てばOKです。その他にもいくつかコマンドが実装されていますので、

dir1>> help

でチェックしてください。

番組名に含まれる「二ヶ国語放送マーク」や、「最終回マーク」などの「ARIB外字」と呼ばれる文字は、フォントが無くて化けてしまいますが、実用上はあまり問題ありませんのでご了承ください。

モノを減らすということ

 以前『人生がときめく片づけの魔法』という本を読んだ。ベストセラーになり、著者のこんまりさんは、米国「TIME」誌で世界で最も影響力のある100人に選ばれるなど、今や時の人だ。私も影響を受けて、衣類や文庫本など、ときめかないモノたちを手放したのだが、それだけで終わってしまった。
 なのに性懲りもなく、本屋で見かけた『ぼくたちに、もうモノは必要ない』という本をまた買ってきた。「ミニマリスト」を自称する著者が、極限までモノの少ない生活を推奨する本だ。私は、就職してから2年間、独身寮で六畳一間の二人部屋に住んでいた。それは正にミニマリストの生活だった。収納と言っても半間の押入れの下半分だけ。テレビも持っていなかった。それでもちゃんと生活はできていたし、この本の主張するように、時間的な豊かさなどがあることはわかる。
 あれからおよそ20年を経て、狭いながらも一戸建ての家に家族と住んでいる今、ミニマリストになろうともなれるとも思わないけれど、モノが多すぎることは気になっていて何とかしたいと思っていた。モノが家を占拠して、狭いところで生活するのは残念だったが、なかなかモノを減らすことができなかった。『モノは必要ない』が説く、本や昔買った高価なモノが捨てられない理由には、ちょっと心に刺さるところがあったので、また挑戦してみることにした。
 今日は、本と靴をブックオフに持っていった。こんなこと勉強したんだということを確認するためだけの置物になっていた大学時代の教科書と、就職した年に買ってどうしても足に合わずにあきらめた4万円のリーガルの革靴だ。大して履いていないとは言え、20年前の靴に値がつくとは考えもしなかったので、捨てようとしたら、ツレアイがブックオフに持っていけと言ったのだ。持って行ってよかった。1,000円で引き取ってくれた。ゴミにならずにリユースされるのも嬉しい。
 玄関まわりのモノを集中的に減らしてみたら、目に見えてスッキリして、少し弾みがついてきた。これからも、コツコツと継続的にモノを減らして行こうと思う。リビングやキッチンはまだ手付かずで、道は険しいけれど。

幸せな味覚の持ち主とは

同じものを食べても「美味しい」という人もいれば「不味い」という人もいます。味覚は人それぞれで違っているということは経験的に分かりますが、ではどんな味覚の持ち主が一番幸せなのか、という疑問を持っていました。好き嫌いの問題もあるので、味覚を類型化すること自体がかなり難しい問題だとは思います。非常に単純化して、美味しさを表す一次元の尺度(「不味い」⇔「美味い」)で味覚を表現します。さらに、とても乱暴な話ですが、仮に「美味しさの絶対尺度」のようなものがあると仮定します。これは、神様の決めた尺度と考えてもいいし、全世界の人の評価の平均と考えてもいいと思います。とにかく、あらゆる料理、食べものは、この尺度の下に美味しさの値が付与され、一列に並べられる、というものです。そうすると、個人の味覚は、「美味しさの絶対尺度」から「個人が感じる美味しさの主観的尺度」への関数で表現されます。「絶対尺度」をx、「主観的尺度」をyとすると、おおまかに以下の3つのパターンがあるように思います。

Aは、何を食べても美味しい、という人達です。C は、本当に美味しいもの以外は不味い、というグルメな人達です。間のBは、美味いものは美味い、不味いものは不味い、という人達ということです。これだけ見ると、何でも美味しく食べられるAの人が幸せそうに思えます。でも、関数の傾向はこのとおりだとしても、これらのグラフを重ねてみると、以下のようになりそうです。

つまり、Aの人達は、何を食べてもそこそこ美味しいけれど、本当の美味しさが分からず、違いが感じられません。逆に、グルメなCの人達は、本当に美味しいものはとても美味しく感じられ、かつ微妙な美味しさの違いがよく分かります。こう考えると、食べているものの「美味しさの絶対尺度」がどの程度かによっても、幸せな味覚のパターンは変わってくることになります。

夕食の話題でこの話をしていて、娘と私の結論は、やっぱりBがいいね、ということでした。

ブラックコーヒー党 vs スイートコーヒー党

随分昔の事だが、豆から淹れたコーヒーに砂糖を入れていたら、「もったいない」と言われたことがある。つまり、「せっかくの美味しいコーヒーに砂糖なんか入れたら台無しじゃないか、もったいない」ということだと思う。嗜好品なのだし、好みはそれぞれなのだから、砂糖を入れようが入れまいが好きにすればいいだけの話なのに、「ブラックコーヒー党」の人達は、なぜか我々「スイートコーヒー党」に対して、蔑みにも似た感情を抱いているように感じることがある。「味の分からないやつらめ」と。

子供の頃、麦茶には砂糖が入っているのが普通だった。グレープフルーツにも砂糖をかけて食べていた。今同じことをすれば、「邪道」だと言われかねない。「昔は甘くて美味しいって言ったもんだけど、今は甘過ぎなくて美味しいって言うんだ」と近所のおばさんが言っていたのは、もう20年以上前の話だ。いつからか、「素材の味をそのまま味わうのが良いことで、砂糖をかけるのは邪道」というような意識が広がってきたように思う。

このような背景の下、日本では「ブラックコーヒー党」が与党になったものと思われる。これに対して、野党たる「スイートコーヒー党」は、百倍誇張して表現すれば、「砂糖を入れた方が美味いのに、通のフリしてやせ我慢して不味いまま飲んでるやつらめ」と反発しているように見える。

この話の結論は、健康のために砂糖を控えている方は別にして、自分が本当に美味しいと感じる飲み方で飲めばいいじゃないか、仲良くやろう、ということだ。